原裕一郎のバスケットボール物語(1)

2023年度のバスケットボールワールドカップが沖縄で8月25日から開催されます。
日本代表の応援に行きたいが、歩行困難とあってはテレビ観戦で我慢するしかない。
NBAの八村塁選手(レイカーズ所属)が欠場するのはとても残念。

小生がバスケットボールに興味を持つのはそれなりの理由がある。
ホームページの「素立学よもやまの記」に”原裕一郎のバスケットボール物語”と題して連載するので興味の有無に関係なく読んでいただきたい。
小生が香椎中学(旧制)を卒業した1948年(S23)にプロバスケットボール(NBL)があったら原裕一郎はプロを目指していたかもしれない。
2004年(H16)未だ日本にプロがない時代、田臥勇太選手(秋田県能代工業卒)がNBA日本人第1号として渡米した。
現在では八村塁、渡辺雄太両選手がNBAで活躍している。

2005年(H17)bjリーグが誕生、
2013年(H25)にJBLと合体してNBL(日本プロバスケットリーグ)が発足、各地でゲームが開催されている。
今後ますます日本バスケットボールの発展を期待したい。

前置きはこれくらいにして、戦後、学徒動員から新制香椎高校に復帰した原裕一郎が、何でどうしてバスケットボールに関わったのか、”原裕一郎のバスケットボール物語“と題して想い出を書いていく。
日本が大東亜戦争で負けていなかったら原裕一郎がバスケットボールとの関わることはなかった・・・・なんで? 続きは次回

今後とも何卒よろしくお願いいたします。


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