93歳の今でも記憶しているエピソードをご紹介します。
1956年(昭和31年)、カシオ計算機は世界初のリレー式計算機(14ーA)を世に出した。
世界初のリレー計算機の開発者は、樫尾俊雄さん(カシオ計算機の創業者の一人、技術担当)であった。
昭和5年生まれの私は、当時、福岡市の大手事務機販売会社を退職し原事務機株式会社を創業したばかりでした。
発表前日の夕刻、私と輸入事務機販売会社の都築さんと樫尾俊雄さんの3人は、札幌の発表会場近くにある旅館の食堂で飲食していました。
席は翌日の世界初の計算機の話で盛り上がっていた。
その最中にふと、俊雄さんが中座しました。
用足しかと思っていたが、30分以上たっても戻らない。
厠、部屋など探してみつからないので、宿の番頭に聞いた。
「お連れさんは、下駄履いて外に出ていかれました。」
慌てて、私も下駄を履いて外に出た。
宿の玄関から少し離れたところに、俊雄さんがうなだれたように腰をかけている。
「俊雄さん、どうしたとね?」
俊雄さんはただでさえ無口な人でした。
「計算機がまちがうんです。」とポツリ。
「まちがうって?」
部屋に帰って、なんとかならないかと3人で対策を考えた。
「足し算、引き算はうまくいくが、掛け算と割り算はまちがう」
「それなら、掛け算、と割り算の答えが出たところで、間違いがわからないようにサッと消そう」
「そうしよう、間違いか正しいかわからないようにスグ消そう」
発表会当日になった。
「カシオ計算機14ーAの開発者、樫尾俊雄がご挨拶いたします。」
そこには日頃から無口で正直な技術者の俊雄さんが、顔も上げることができないで、下を向いてうなだれて登場した。
昨晩3人で考えた計算結果をすぐ消すという「誤魔化し法」など少しも役にも立たなかった。
こうして世界初の電子計算機として華々しくデビューを飾るはずのカシオ14ーAの発表会は失敗に終わった。
なぜ計算機が間違ったのか。
前日、空港で飛行機に積み込もうとするとサイズが大きくて2つに分解しないと積載できなかった。
分解すると、ただでさえ複雑な回路であり、元に戻す自信がないと言っても、積み込まねば発表会に間に合わない。
仕方なしに分解して札幌の発表会場に持ち込んだというわけであった。
失敗だった発表会場に最後まで残った販売会社があった。内田洋行である。
それでも内田洋行は樫尾俊雄さんを信じて、その後もカシオ計算機を売った。
リレー計算機はまもなくトランジスタを使用した計算機に変わった。
「答え一発!カシオミニ」
生産が追いつかないくらい爆発的に売れた。オフィス計算機の革命とも言えるヒットだった。
続いて、ポケットに入るWindows 携帯計算機、PDAという商品を俊雄さんは世に出した。
リレー計算機の頃の数字表示は現在のように一列に並んで表示されず、数字表示の桁ごとに縦に0から9までの10個のランプの一つが点灯した。暗い表示板にまるで夜空の星座のように計算結果が表示された。
私が言った、「カシオさんの製品だからカシオペアと名づけたらどうですか?」
俊雄さんはそれを聞いて微笑んだ。
カシオペアという名前でその後販売されたカシオのPDA(携帯情報端末)は小型で計算はもちろん、メモスケジュール管理、電話回線とも接続した。
スマホ、タブレットといったモバイル機器の先駆けとなった。
もう、60年以上前のお話になってしまいました。
あなたが樫尾俊雄さんであったら、その時どうしますか?
今をどう生きるか、素立学がお役に立ちます。
<<PDAとは、Personal Digital Assistantの略で、個人向けの情報端末の事。スケジュールや連絡先、タスク管理等、手帳代わりになる機能を持つ端末>>
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